背暗向明

 一人の男性信徒が52歳という若さでこの世を去った。

 

彼の家庭は生活が苦しく、ダウン症の妹と身障者の母を抱えていた。家庭を支えるため、一生懸命働きずくめの毎日だった。

 

その彼と信徒のY子さんは知人の紹介で知り合って結婚を決意した。二人のために信徒が手づくりの結婚式をしてあげ、心から祝福した。彼はY子さんのお陰で、生活の改善が行われ、安心して仕事ができるようになった。そして大願寺の信徒となり信仰を深めた。真面目な人柄は信徒からも信頼された。

 

その彼が、重い心臓疾患にかかり、2度心臓手術を受けた。ところが2度目の手術の時は肝臓腎臓等の多重臓器疾患を併発し入院加療のところ、体力が消耗し、帰らぬ人となった。

 

ご遺体の安置、通夜、葬儀告別式等すべて大勢の信徒が力となってお手伝いをした。また、彼の職場の人たちもお手伝いをしてくれた。社員からも慕われていた人柄がよくわかった。社長さんは、仕事の合間合間にお顔をだしてくれた。よほど気になっていたのだろう。

故人の人柄と交流の深さは供花にも表されていた。直接花屋に申し込まれた人が多く、祭壇にはいっぱいの供花が飾られた。

 

葬儀には、初めて信徒がご詠歌をお唱えして、別れを惜しんだ。彼は当寺の御詠歌推進部長であった。病気が治れば詠歌道を精進したいと言っていた。残念である。

息を引き取るまで、意識はしっかりしていたそうだ。

 

お大師の命日の21日に他界したので、真面目な人柄も甘味して「法守空也居士」と法名を授けてた。

 

入院中苦しくても、笑顔を絶やさず、看護士さんからも好感をもたれた。妻への愛情も深まり毎日二人して間に入れないほどのラブラブぶりだった。最後は安らかに眠るように息を引き取った。

不自由な身であっても、生きている喜び、生かされている喜び、支えられていることへの喜び、一生懸命生きた喜び等いろいろな喜びを多く感じ、人間としての根源的な自覚、仏性を見つけ出して心に安心をみつけ、大なる智慧を獲得して光に包まれて密厳浄土へ旅たって行った。

 

弘法大師の言葉に

「心暗きときはすなわち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途に触れて皆宝なり。」『性霊集』

とある。

心が暗いときは、不平不満が多くすべてが、禍いとなる。しかし、真実の世界に目覚めれば、この世のすべてのものが有難く、路傍の石でさえ光輝く。この世に無限の価値を見つけることができるだろう。

私たちは、暗黒の無知の世界を破って、光明放つ佛の智慧の世界に赴かなくてはならない。

 

居士よ、密厳浄土の世界に遊歩し、我らに智慧の光を放ちたまえ。