沿革

  みんなのためのみんなのお寺

思いやり、支え合い、携え合って生きる場所、そんな拠り所をつくりたいとゼロからスタートして早30年以上たちました。得度して真言宗のお坊さんになってからは25年です。
アパートの一室から始めた宗教活動も信徒が増え手狭になったので、民家を購入して改装し、お寺をつくりました。
本尊不動明王を祀り護摩を修し、日々信徒と共にお経を唱え、仏の教えを共に学んでいます。

「みんなでつくる みんなのお寺」を合言葉に励み、みんなが喜ぶことを自分の喜びとして家族のように、親のように、友達のように接して、小さいながらも充実したお寺つくりをしております。

大願寺は若いお父さん、お母さんや赤ん坊、こどもたち、年配者まで幅広い人たちが集い、笑いの絶えない明るいお寺です。

出会えてよかったと思うお寺。
生きる喜びがわくお寺。
苦しみを乗り越えた仲間がいるお寺。
元気のでるお寺。
感謝の心がわくお寺。
仏さまを感じる清らかな空気のあるお寺。

垣根のない、そんな「みんなのためのみんなのお寺」です。
あなたも仏さまのご加持のもとで安心のある生活をしませんか。

  不動明王との出会い

私は、大阪でサラリーマンをしていました。企業戦士として毎日毎日家庭をかえりみず、がむしゃらに働いていました。
働いてサラリーをたくさんもらうことが、家庭のためになると信じていたのです。成績も上げ、管理職に出世しました。
会社の業績を上げるために、成績の上がらない部下の首を切る立場になったのです。鬼のような心を持たないと耐えられませんでした。
悶々とする日が続きました。心の苦しみを消化できない私は、アチラコチラお寺の門を叩いて回りました。しかし、話を聞いてくれるところがなかなか見つかりませんでした。

近くにお寺があることに気づいてそのお寺を訪ねました。ご住職が優しく私の話を聞いてくれました。
そしてそのお寺に通うようになり、勉強会にも出席するようになったのです。
お不動さまと出会ったのはこのお寺のご本尊さまが初めてでした。

   人生をリセットする

私は40代になって、意を決してサラリーマンをやめ故郷の沖縄に戻りました。しかし、幼い時に内地に行って育ったので、知り合いもいませんでした。
従兄弟を頼りにいろいろな仕事を手がけましたが、何ひとつうまくいきませんでした。借金を抱えて生活が苦しくなるばかりでした。
何をやってもうまくいかないのは、自分の生き方が間違っているかも知れないと思い、自分が培ってきた、概念や価値観を捨て人生をリセットして見ようと決心しました。
未練を持たないために、たくさん持っていた本や衣類や持ち物を捨て、トレパンの上下だけの身となって、瞑想をし、祈り三昧の日々を過ごしている時、深夜に突然「アチャラ」という声が脳裏に聞こえました。そして頭から何かが体に入って来たのです。その得体の知れない何かに指示され修行が始まりました。
徐々に徐々にその得体の分からないものの正体がお不動さまであると気づくようになりました。きっとあの不動明王さまに違いない。あの不動明王さまが力を下さったのだ。
私は、無我夢中で修行に励みました。そしてある日、人助けをするように告げられたのです。

 

  宗教活動を開始

アパートの一室から、人助けが始まりました。人助けと言ってもほとんど原因不明の病気を治すことが主でした。自分に病気を治す力があるのか半信半疑でしたが、お不動さまの指示通りに、たどたどしいながらもお経をあげ、錫杖を振るだけの動作でしたが、お経を唱える声も出ないくらい胸を締め付けられる苦しみを味わいながら七転八倒の戦いの毎日でした。自分でも何がなんだか分からないが、何故か相手の病気が治るのです。噂が噂を呼んで人が集まるようになったので、宗団をつくることにしました。

ガラス張りの宗教団体を目指し、「みんなのためのみんなのお寺」「みんなでつくるみんなのお寺」を意識して、それぞれが役割をもってお寺の運営にあたるようにしました。

 

   伝統仏教に帰依する

組織が大きくなった頃、ある月間誌で「阿字観法」の記事を見て、いても立ってもいられなくなり、実践しているそのお寺に電話して、早速訪ねることにしました。
長野県の岡谷にある古刹のお寺です。そのお寺の住職と副住職とお話することができました。そして得度してお坊さんになったらどうかととさとされました。
しかし、すでに既成の宗教団体にとらわれない組織化した宗教団体となっているのに、方向転換することは一存で決められるものではありません。
沖縄に戻って信徒と話し合って決めることにしました。
早速役員の人たちと話し合い、同意が得られたので平成5年7月に得度をして正式に真言宗智山派の僧侶となりました。

平成24年に宗教法人となり、現在に至っております。

ちっぽけなお寺ですが、伝統仏教を大切にしながら、敷居の低い開かれた「みんなのためのみんなのお寺」つくりは健在も奮闘中です。