筋を曲げてまで利得のために人の顔色を伺い、つきあう必要があるだろうか。
武士ならさしずめ「武士は食わねど高楊枝」で本義を大切にして生きただろうと思う。
今の世の中、ぺこぺこへつらい、八方美人よろしく利得のために、人付き合いに汗を流して、本義を見失い、自分自身を見失っている人が多いのではないだろうか。
みんなと仲良く生きることは、大切だが、本義を見失って染まってはならない。道から外れてはならない。正しい道を貫き通す気骨が必要だ。頑固と言われても、貧乏しても正しく生きる人が優れている。
釈尊は宗団を傷つけるもの、乱す者には厳しかった。身を慎み正しい道の修行をすすめ、悪しきものに染まることのないように説いた。
利得や享楽は媚薬のように人を酔わせる。難儀な処に身を置くことは難しく、安易な処に身を置くことは易しい。しかし最高の幸せ、幸福感、安心は得られない。
その場かぎりの享楽にうつつを抜かし、大切なものを見失ってはならない。財は生きていく上である程度は必要だが、欲望の強い人が財をもっても幸せにはなれない。
ビルゲイツは財を築いたが、その財を人のために使っている。彼は財を持つ人は、もたない人に分ける義務があると言う。すばらしい人だと思う。
義とは ①道理、条理、物事の理にかなったこと。②人間の行うべきすじみち。③利害をすてて条理に従い、人道・公共のためにつくすこと。と広辞苑にある。
また、「義を見てせざるは勇無きなり」と論語にある。意味は「義が貴い人道であることを知りながら、これを実行しないのは勇気がないものである。」
気骨ある義の実践者が増えることを願うばかりです。