戦没者供養と平和学習

沖縄では6月23日が慰霊日となっており、官公庁、学校は休みです。

何故この日を慰霊の日に沖縄県が定めているかと言うと、この日に司令官の牛島中将が摩文仁の丘で自決して組織的な戦闘が終焉しました。この日をもって沖縄県は終戦記念日としています。

政府は8月15日を終戦記念日として戦没者法要を行いますが、これは、靖国神社に祀られている戦死者の追悼法要であります。本来ならば、国は戦死者全ての追悼法要をすべきです。沖縄県では、平和祈念公園の平和の礎に24万人以上の戦死者の名前が刻まれています。軍人軍属、アメリカ、イギリス、韓国、台湾等、敵味方、国籍を問わず戦争で亡くなられた方々のご芳名を記して祀られているのです。

沖縄では今も戦争の傷跡が絶えません。ガマと言われる壕にはまだまだ遺骨が収集されず、残っています。戦時の生存者が少なくなってきていますが、戦時の話を聞くと胸が押しつぶされそうになります。教科書問題で大きく世間が揺れ動きましたが、自決に軍の命令があったか、どうかは、私の考えでは、どうでもよいことです。

事実は多くの人命が失われたことです。戦争という大きな歯車は人心を狂わします。戦争になれば、日本軍でなくても、いろいろな出来事が起こりうります。大事なことは、戦争を起こしてしまえば、個人の正義は通用しない地獄の世界に変貌してしまうということです。だから戦争を起こさない教育が必要なのです。

済んでしまったことに責任の擦り付け合いをすることにエネルギーを使うより、事実をみとめ、許しあい、二度と戦争を起こさない教育に力を入れるべです。そう思いませんか。

私は毎年、組織的な戦闘が繰り広ろげられた激戦地の嘉数台地において、京都の塔、大韓民族の塔を沖縄の6つの高校のインターアクトクラブの生徒とともに供養し、戦争の悲惨さを教え、戦争を起こしてはならない教えを施しています。今年も多く高校生が熱心に話しを聴いてくれました。いつまでも平和でありますように祈ります。

人が人を殺すことを断じて許してはなりません。