ある日電話での問い合わせがきた。「住職さんは死刑についてどう思われますか。新聞でも報道されていますが、廃止すべきでしょうか。」私は答えました。「死刑は廃止すべきです。憎しみは憎しみをもって乗り越えることはできないという仏さまの教えがあります。憎い人を殺せば、収まるというものではありません。どんな凶悪犯でも懺悔して悔い改めれば救ってあげなければなりません。」「サリン事件で多くの人を殺した人でも許さなければならないのですか」「基本的にはそうです。たとえ制度上、法的に許されても、仏の教えでは、人間が人間を殺す愚かな行為は良いこととは言えません」
「許す」ということは勇気がいります。葛藤してなかなかできることではありませんが、加害者も被害者も、またその家族も、あるいはその友人や取り巻く関係者も苦しい思いを背負って生きていかなければならないのです。もし、仇を討てばいいということであれば、この世は対立だらけの構造となり、憎しみが絶えない社会となるでしょう。平和な社会を構築するうえにおいても、お互いが許しあえる慈悲の心を身につけたいものです。
何よりも犯罪者を出さない社会をどうつくるかを先に論じることが先決のような気がします。