賢者

あけましておめでとうございます。
みなさまにとって良き1年になりますよう祈念いたします。
さて、昨年の世相は偽りや不信が露呈した1年でした。バブルの時代、不況の時代、格差の時代と世の中が変わっていく中で、道徳や倫理観が欠如して、世間を欺いてでも利得を得ようと血走った人達の結末は、奈落の底に落ちてしまいました。欲望が心を狂わした結果です。

人間の世界はお互いが支え合って生きています。支え合わないと生きて行けないのが人間社会なのです。人間として生まれたことに感謝して、お互いが人間としての自覚を持って生きていかなくてはなりません。そして生きて行くための目標をしっかり持たなければなりません。その目標は人格の形成でなくてはなりません。いい学校に入りたい、いい会社に就職したい、資格をとりたい、お金がほしい、家がほしい、車がほしい、旅行がしたい等の望みは生きていく中での最終目的ではありません。それらは手にいれても満足できるものでなく、次から次へと欲が膨らむものです。
人格を形成するには、慈悲の心が大切です。その慈悲の心の実践が布施行です。人の喜ぶことを実践することにより、人間同志の心の触れ合いが起こります。悩み苦しみを分かちあいながら生きることにより、お互いの信頼関係が築かれていきます。信頼関係、施しあう関係でできているのが社会です。その最小単位が家庭でしょう。信頼関係が失われますと人間関係が崩れ社会が崩壊します。家庭崩壊、学校崩壊、社会崩壊がそれです。
仏教徒は仏様の教えを身に付けで実践できる人でないといけません。慈悲の心をもって施す心を実践しましょう。知識が豊富な人が賢い人ではありません。人格が欠落した人は賢いと言えないし、ましてや知識があっても実践できなければ何の役にもたちません。
人間としてどうあるべきかを常に考えながら仏の教えを実行できる人こそ賢い人と言えるでしょう。
仏の教えはたくさんありますが、端的に言えば、悪いことはするな。良いことをしなさいということです。
やさしい言葉であるが実行はなかなかむつかしい。人間の欲望が強すぎるとコントロールできなくなり人間から動物に転げ落ちてしまいます。
さあ、動物にならないように気を引き締めて、賢者になるために、できることを見つけよう。