先祖の供養

お盆がやってくる。日本人は先祖を大切にする民族である。しかも遺骨を大切にする。内地では分骨しても抵抗がないが、ここ沖縄においては、分骨なんてとんでもないと、おばあたちが血圧を上げて反対するだろう。

沖縄ではそう遠くない日まで風葬か埋葬だった。一定の期間が過ぎれば、骨を洗い、大きな骨壷に収められていた。最近はみんな火葬するので骨壷も小さくなったが、それでも内地の骨壷に比べたら大きい。

糸満のある門中墓では、墓の中に最も新しい故人一人のみの骨壷が置かれ他は合祀するところがある。新しい故人の遺族が墓の鍵をあずかり、管理責任者となる。期間に関係なく、次に亡くなった家庭がでれば、門中で墓を掃除して、遺骨を合祀し、新しい遺骨を迎える。しかし墓は大きい。
先日、埼玉県から移住してきた方の法要に行ったが、分骨された骨壷は子どもの弁当箱くらい小さなものだった。内地では、墓地が高くて墓をつくるのも大変らしい。墓も小さい。それに比べ沖縄の墓は大きい。内地の人からみれば大きな墓の前で、家族や縁者が集まってご馳走を食べながら、先祖の供養をしている光景はうらやましいという。

最近核家族の影響で墓の需要が増え霊園墓地の開発が著しい。狭い沖縄でこれほど大きな墓をジャンジャンつくる必要があるのだろうかと考えてしまう。

糸満の例に習えば、小さい墓でも門中の需要を満たすことができるのではないだろうか。
最近、仏壇をあずかってほしいという電話相談が多い。先祖を大事にしたい人、そうでない人、まるで雨が降り続けば日照りを願い、日照りが続けば雨を請うがごとく、都合のいいことばかり言っているが、亡くなった先祖さんはどう思っているだろうか。貴方がいま存在しているのは人類が生まれて以来お父さん、お母さんが途絶えることなく、いたから生まれて来たのですよ。
墓の大きさを競うのではなく、遺骨にとらわれることなく、先祖の仏壇を邪魔扱いするのではなく、感謝して心のこもったお祈りをしてあげたら、どんなに先祖さんは喜ぶことだろうか。せめて年に一度、お坊さんを家に迎えて仏壇でお経をあげてほしい。その功徳は量り知れないものがありますよ。
大願寺では12日に、お寺で信徒のみなさまのご先祖のお塔婆をたて供養をさせていただきます。
どうぞ、お参りください。