日本最初の道徳書「六諭衍義」

沖縄が誇れる教育者「程順則」(名護親方)

程順則は1663年に那覇市の久米村で生まれ、琉球で初めての学校(明倫堂)を建てるなどして教育を広め、後に、本島北部の名護間切りの総地頭(名護親方)となり「名護聖人」と称された。
1683年、21歳で留学生として中国に行ったとき。師事していた竺天植先生の机上にあった本が「六諭衍義」の本であり、最初の出会いであった。程順則はその本に大変興味をもち、よみふけた。それは琉球の「チムグクル文化」(心の在り方、つまり道徳性を重んじる文化)と共通するものが多かったからである。それから25年たって、4回目の渡中に私財を投じて、覆刊製板して持ち帰った。その目的は子弟に中国語を教えるのにふさわしい本であったと同時に心の在り方を説く道徳書として優れた内容であったからだった。
1714年江戸慶賀使として上国する際に、薩摩の島津吉貴公に献上した。1719年に第8代将軍徳川吉宗に献上される。吉宗は1721年に室鳩巣に和解を命じ、翌年、鳩巣大意本「官刻六諭衍義大意」が刊行された。それを機として、各藩校や寺小屋教育のお手本として使用されるようになり、全国に広がった。
およそ200年もの間、人心を善導するための「庶民道徳の教本として」使用された。
おそらく「日本で初めての道徳の教科書」であった。
程順則は、この「六諭衍義」の教えを琉歌で詠んで琉球の人々にわかりやすいように工夫した。
程順則の詠んだ琉歌をいろは順に編集したものを「琉球いろは歌」としている。方言の歌を通して、わかりやすく人を諭し、教育した。
程順則は日本においても、沖縄においても世界で誇れる道徳心を身につけた民族を育てた功労者である。
 

内容の解説は逐次進めたい。

(ボーダーインク社 六諭のこころ参照)