伝えることの大切さ

仏さまの教えを学びたいと思う気持ちは多くの人にあると思います。

現代は多くの本が出版されており、図書館に行けば多くの本を借りることができます。又いろいろなメディアで知識を得ることもできます。勉強の環境は整っていると言えるでしょう。しかしそれは、知識を得ることはできても、知慧を得ることはできません。

お釈迦さまの時代は、直接話を聞く方法で仏の教えを聞くしかありませんでした。ですから、当時の人は自分の納得できる師に巡りあおうと、灼熱の地を旅してお釈迦さまに辿りついたのです。

お釈迦さまの2人の高層がお釈迦さまに巡りあうまでの説話があります。それを紹介したいと思います。
コーリタとウパティッサは仲が良くて、人生の無常を共に感じていました。2人はサンジャという師のもとで出家して修行に励んでいましたが、すぐにサンジャの教えを理解してしまい学ぶものがなくなりました。新たな師を求めてインド中を旅しましたが、巡りあえることなく失意して村に戻っりました。二人はどちらかが早く、悟りへの道を得ることができたなら、必ずお互いに知らせ会おうと約束をしていました。

ある日、ウパティッサは修行僧のアッサジが托鉢をしている姿を見て驚きました。「こんな立派な修行僧を見たことがない。この方の師はだれだろうか。」ウパティッサは托鉢の終わるの見計らって、礼を尽くした後、アッサジに「あなたの先生はどなたでしょうか。どなたの教えを信じておられるのでしょうか。」と聞きました。アッサジはまだ新米の僧でしたので上手にお釈迦さまの教えを説くことができません。ウパティッサは言いました。

たとえ少しの 教えでも
真理の言葉が 欲しいのです。
真理を求める わたくしは
多くを聞くのは 望みません

アッサジはウパティッサの境地を知り
お釈迦の教えを唱えました。

すべてのものには 原因が
あってそのため 生起して
すべてのものには 原因が
あってそのため 消滅す
世尊はその因 解き明かす

これを聞いたウパティッサはこの教えを説く人こそ私が長年探し求めていた師だと直感しました。友人のコーリタにこのこと告げ、2人でサンジャのところに行き、釈尊のもとに行こうと誘いましたが聞き入れてくれませんでした。しかしサンジャの500人の信者は2人に従い釈尊のもとへ急ぎました。しかし、途中で250人がサンジャを心配して戻ってしまいました。残り250人が2人と一緒に釈尊のもとに弟子入りしました。この2人が後の十大弟子の一人、神通力第一のモッツガラーナ(目連)であり、智慧第一のサーリープッタ(舎利弗)です。

 さて、師に巡りあうということは、今もむつかしいことです。しかし、現代は、インターネットである程度探すことができます。ネットで探し、自分で確かめることが必要でしょう。最近、3名の方がネットを通じて、大願寺と縁ができ、護持会に加入していただきました。有り難いことです。ネットの活用を大切にしないといけないと痛感しました。また、教えを伝えることの大事さも痛感しています。信徒の一人一人が、自分の感じたことを伝えることによって、教えが広まり、宗団も広がって、救いの機会を増やすことができると思います。

私はアッサジに手も届かない新米の僧侶ではありますが、今後外に向けての布教を重点に活動してまいりたいと決意しています。内については、できるだけ寂然に代わってもらおうと思っています。信徒のみんなで、支えあって、それぞれが、自ら修行に勤しんで、盛り上げてくださることを望みます。