自然に身を投ず

9月30日深夜から車を走らせ本島最北端の辺土岬に行った。

3時間の道のりである。月の明かりと満天の星が降り注ぐ天空に身も心も奪われて釘付けになり、北の空に一際大きく輝くはいむるぶし(北極星)を見つめ真言を誦えていると、時の過ぎ去るの忘れ、10月1日朝の5時になっていた。

今度は東海岸に回り、日の出を拝もうと移動した。伊江部落の海岸につき、うっすらと明るくなった空の下、足跡のない砂浜に真新しい足跡をつけながら、端から端まで散策した。

沖から聞える海鳴りと砂浜に打ち寄せる潮騒が魂を慰める。海に突き出た岩に腰掛て日の出を待った。

真言を誦えながら、太陽の再生を待つ。沖縄では太陽は死んで朝に蘇ると信じられていた。やがて雲に赤みが帯び、空が明るくなってきた。遥か水平線から力強くギラギラと光輝く太陽が顔をだしてきた。真言を誦える声にも力が入る。

ドドーと地割れする海鳴りとザザーと寄せては引き、引いては寄せる柔らかい潮騒に魂を洗われながら、太陽の力強いエネルギーを浴びて、真言の力で宇宙の佛、大日如来に包み込まれていく。自然に身を委ねると世間の垢が流される。

太陽が生まれ変わってそのエネルギーを全てに与えて命の躍動を促すように、人々も自然に身を投じて一心に感謝すれば、佛のエネルギーを全身に浴び生きる力がみなぎってくるだろう。

お大師さまは海や山野を闊歩して多くのエネルギーを身につけていたに違いない。