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大願寺について

真言宗智山派雄翔山大願寺

当寺は、前智山派管長宮坂宥勝猊下のご寺坊、照光寺の法類です。大願寺の寺号は猊下から授かり揮毫されたものです。

住職の得度の戒師は宮坂宥勝猊下、師僧は宮坂宥洪照光寺住職です。

住職は50歳の時に得度をしました。世襲のお坊さんでなく、在家から発願してお坊さんになりました。いろいろな仕事を経験してきており、人生経験豊富ですので適切なアドバイスが得られます。

固くるしくなく、どなたにも親しく相談にのってくれます。遠く離れた方には、電話でも相談にのってくれます。時空を超えて、加持が得られますので不可思議な経験をすることができます。

大願寺は、みんなでつくる、みんなのためのガラス張りの寺院つくりを心がけています。こどもからお年寄りまで、心のかよう暖かいお寺です。とにかく若い信徒さんが多いのが特徴です。お寺で結ばれたカップルも9組います。

原因不明の病気や運気に悩む方は、悩みが解消されるかもしれません。まずはお寺の住職に会ってからスタートしてみてください。

不動明王との出会い

昭和60年(1985)5月頃、深夜にお経を唱えていると、突然「アチャラ」という声が3度、間をおいて耳から聞こえました。何のことなのかわからないまま、翌日もお経を唱えていると、頭のてっぺんから今度はなにやら入り込んでくるものを感じました。それは、ぐりぐりと手足の先端までねじ込むように入り込んできました。

やがて自分の体が自分でなくなってしまいました。目は閉じていても体が何かを感じて顔を向け睨みつけるしぐさをしたり、手が刀となって何かを退治している動きをしたり、厳めしく荒々しい動作をするようになりました。自分の中に自分を動かす何かが住み着いてしまったようです。声を出して呼びかけても返事はありませんでした。

数ヶ月体を動かされながら奇妙な生活が始まりました。自分の体の中に別人が住んでいて、それが自分を動かす。自分であって自分でない。お陰で予知すること、過去を知ること、必要なものを見つけること、危険をさけること、人の心の中を知ること、自分の心を知ること、死期を知ること、地図を必要としないこと、睡眠をコントロールすること等さまざまな能力と言おうか、体の中の何かが、この肉体を動かしながら教えてくれたものから学びました。得体は知らないがすごい。ある日、脳裏に語りかけてくるようになりました。テレパシーのようなものです。その声に従ってある日、本屋さんに入ると、「右に行きなさい、左に行きなさい、突き当たりの右の書棚の3段目にある本を取って開きなさい」と次々と指示をされました。そこにあったのは赤い分厚本でした。本には「総覧不動明王」とかいてありました。全国のお寺の不動明王の写真が載っていました。その本を立ち読みしていると、ページに「アチャラ」という言葉を見つけました。サンスクリット語で不動明王のことをさす言葉でした。そこで初めて「アチャラ」の意味を知ることができました。その本を購入して家に帰り、「私の体を動かしているのは、お不動さまですか。」と恐る恐る尋ねるとそうだと言う。私はそこで決心をしました。すべてを捨てて修行しようと。お不動さまに「どうか私をお導き下さい」とお願いしました。私の中のお不動さまは、容赦せず過酷な修行を命じました。私の意志が揺るぎがないかどうか、命がけのこともやらされた。空腹になっても耐えられるかどうか。お金がなくても、生活が苦しくても、動揺せず修行を優先できるか。時間を惜しまず修行できるか。羞恥心を離れ、人目、人の噂に心を奪われず修行できるか。自分より他人を優先して行動が起こせるか。地位や権力に屈することなく、自分の意見が言えるか。謙って仕えることができるか。などなど自分を改造することを徹底的にさせられました。また同時に沖縄本島北部の密林の中を地図を持たず、ハブも恐れず歩き回ったり、山の中の川につかり、水行を行ったり(山中の川の水は氷のように冷たい)、崖渕で太陽の上るの見ながら読経をしたり、体を通じての行も行いました。

その年の9月ごろになって、いろいろな仏さまが現れて指導するようになりました。もっとも厳しかったのが阿如来(不動如来とも言う)でした。阿如来からは、一切の世間の価値観を捨てることの修行を徹底させられました。所持していた書物は古本屋さんに引き取ってもらい、衣類は社会福祉センターに引き取ってもらい、着るものはトレーニングウエアーだけ、持ち物はお粥をつくる鉄鍋が唯一自分の所持品でした。過去の先入観から離れ、仏さまからの直接の教えに従って生活をし、思考を巡らすようにしました。

当時はわかりませんでしたが、今思い出せば、不動明王に導かれて、密教の5仏の如来さまのご指導を受けていたことになります。

昭和61年(1986)年3月に人を導くことが許されました。その時、仏さまと誓ったのが「衆生済度」です。菩薩の弘誓の一つです。

一人、部屋に籠って修行している身だったので、誰も知る由もなかったのですが、たまたま、遠い親戚の女性が訪ねてきて、この方の原因不明の病気をなおすことからはじまり、人伝いに噂を聞いて訪れる人が増えてきました。

沖縄に移り住む前に大阪の瀧谷不動明王寺にお参りしていたので、お不動さまが沖縄で私に仏教を広めるように加持して下さったかも知れません。

私の出身地は、国頭村安田というところです。おじいさんは船大工や鍛冶屋をしていました。

村では、2番目に古い家系の一つでしたが、父の代に財産を失い、村を離れました。

大願寺のできるまで

伝統仏教のあり方にいささか不満をもっていた私は、この沖縄で新しい開かれた、親しみやすい仏教寺院をたくさんつくって教化育成し、この沖縄を仏教国にすることによって大勢の人が心の拠り所を求めて沖縄を訪れ、沖縄を潤してくれるに違いないと、将来の沖縄の姿を夢みていました。

一人の人の出会いから始まった道場は狭くなり、少し広いところに移転しました。そこでも所狭しとなってきました。そんな時、お寺をつくる話が持ち上がりました。信徒も増え、組織もでき、ガラス張りの運営ができるまでになってきていました。たまたま、大法輪という月刊誌に阿字観法の記事を見つけ、そのお寺を訪ねたくなり、電話で場所を確認して行くことになりました。長野県岡谷市にある照光寺です。訪ねてから、いままでの経緯を話をすると、副住職から「智山派と縁があるから得度をしたらどうか」と勧められました。聞いてみると大阪の瀧谷不動明王寺も、京都でよくお参りをして瓦の寄進をした智積院も、みんな真言宗智山派のお寺でした。しかも智積院は智山派の総本山であることを知りました。宗派のことを知らなかった私には驚きでした。

言われてみて不思議なご縁を感じざるをえませんでした。しかし、いきなり得度を勧められたので、即答することはさけ、沖縄に戻って信徒と相談しました。いささか伝統仏教には不満はあるが、私たちの思いや考えを伝統仏教宗団に伝えることによって少しは変えることができるのではないかと、意見がまとまったが、今思えば無謀だったかもしれません。

意を決して平成5年7月に照光寺で得度をしました。多くの信徒も参加しました。加行を積み、翌年3月に灌頂を受けて正式に智山派の教師となりました。平成8年に現在地に移り、同年6月に本尊不動明王を師僧に開眼していただきました。照光寺の信徒も大勢参加していただきました。

平成9年2月に智山派の寺院として認証され今日に至っています。

沖縄での開教寺院として微力ではありますが、中身の濃いお寺づくりを信徒とともに力を合わせて行っています。

法名と使命

師僧からいただいた「宥海」という法名には3つの意味があります。

一つは、照光寺に実在した僧の名前をいただいた

一つは、照光寺法類の「宥」の一字を頂戴した

一つは、沖縄は海に囲まれているので「海」の字がふさわしい

そして師僧から「沖縄の空海」になってがんばってほしいと過分な期待を込められたお言葉を頂戴した。

名前の大きさに圧倒されながらも夢に向かって悪戦苦闘しながら密教を伝えるとことと、衆生済度に孤軍奮闘、精力的にがんばっています。

大願寺の寺号は前智山派管長宮坂宥勝猊下から授かり揮毫されたものです。

私の得度の戒師は宮坂宥勝猊下、師僧は宮坂宥洪照光寺住職です。

2人とも偉大な現代の密教学者ですが、学問もない知識の乏しい私は、弟子としてふさわしくないかも知れません。しかし、仏と一体となった我が身は、だれよりも仏を身近に感じ、仏の力を発揮して、確かな教えを施すことができる自負心があります。

学問の分野においては次代に譲るとしても、釈尊の説いた教えを密教のコスモロジーの考え方で広めていく努力をしたいと思っています。万民が安心を得て暮らせる世の中が一日も早く実現できるように、日本の一番遠くから三鈷杵を空に放ちたい。

恵みあれ、スバハ!

不動明王

不動明王

不動明王さまは、昔から観音さまとお地蔵さまとともに最も庶民的な信仰の対象として多くの人々に親しまれてきました。

観音さまとお地蔵さまは菩薩さまなので、優しいお姿をしておられますが、お不動さまは明王で力強い勇猛な忿怒の姿をしています。

仏さまの位は一番上が如来、次が菩薩、次が明王となります。

お不動さまの本当のお姿は大日如来でありますが、煩悩深い私たちを救うために、怒僕の姿で大日如来の教えを伝える使者として現れています。これを教令輪身と言います。本当は大日如来ですので、大日大聖不動明王とも称されます。

 

浪切不動明王

お不動さまは、日本で信仰が盛んになりました。弘法大師さまが唐からお帰りになる際、海上が荒れて船が波に飲み込まれそうになりました。その時、弘法大師さまは、不動明王を刻み、一生懸命お祈りしました。すると波が止み、無事に日本に戻ることができました。

その時刻んだ不動明王を浪切不動明王と言います。その尊像はいまも高野山の南蔵院に祀られています。少し腰を曲げて立っているのが特徴です。

 

お不動さまの霊験

弘法大師さまは日本に戻られてすぐにお不動さまを主尊としてお護摩を焚いておられます。今は不動明王を主尊としてお護摩を焚くのは真言宗の特徴となっています。お不動さまの霊験については、全国津々浦々にたくさん言い伝えられています。私も未歳生まれで守り本尊はお不動さまです。これまでに三度命を助けられました。またいくどもお不動さまの不思議な経験をしております。

大願寺のお不動さまは、師僧の宮坂宥洪師に開眼していただきました。

私がお護摩を初めて焚いた時のことです。壇の結界の中に頭を入れるとごうごうと、とてつもない音が聞こえました。とろが結界から頭を外すと何も聞こえません。何度も試してみましたが同じでした。不思議な現象でした。また鈴の先の五鈷杵の一本の剣がぐにゃと内側に曲がり込んでしまっていました。お護摩を終わってから手で引っ張ると軽く元に戻りました。しかし、その後はびくとも動きませんし、動かすこともできません。あれから20年の歳月がたっていますが、どう考えても理解できるものではありません。お護摩の炎の熱で曲がったものではなく、お不動さまの不可思議な力が加わって曲がったものと思います。

 

不動明王の縁日

大願寺では、毎月8のつく日にお護摩を焚いています。信徒とともにお経を一心にとなえて祈願いたします。是非お不動さまを体感して信仰を深めてください。

 

 

 

 

 

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